ワクチンが普及するようになり、困ったことがあります。
それは「ワクチン打つか打たないか問題」です。
ただ迷うだけなら問題ありませんが、職場や友達から「ワクチン打った?」「まだ打ってないの?」「打った方がいいよ」とワクチン接種が当たり前の会話をされることです。
そこで困るのは「ワクチン打ちたくない派」の方々です。
ワクチンを打ちたくないのに、打つべきという価値観を押しつけられ、気分がモヤモヤしたり、打ちたくないと言いづらくなったりします。
筆者の私もワクチン打ちたくない派であり、職場の上司や仕事関係者がワクチン打つべき派なので悩んでいました。
そこで、「ワクチン打つべき派」の圧力に耐え続ける対処法と万が一打たない理由を問われた時の解答理由を考えました。
ワクチン打たない派の方は、ぜひ参考にしてください。
「ワクチン打つべき派」の圧力に耐え続ける対処法
ワクチン打つべき派が職場にいると面倒です。
定期的に「ワクチン接種する日が決まったら休んでいいよ」「ワクチンは打った方がいいよ」「副反応怖くて打たない人もいるよね」と言ってくるからです。
打たない派の理解もしてくれればいいのですが、打つべき派にはあまりいないので、余計に困ってしまいます。
本当は打ちたくないのに、「そうですね~」と上辺だけ合わせていたら、だんだん辛くなってきますよね。
ここでは、「ワクチン打つべき派」の圧力に耐え続ける対処法を解説します。
「まだ打ってません」と言い続ける
「まだ打ってません」と言い続けるのはアリです。
あたかも打つような言い方ですが、迷ってる・打つ気がない方でも嘘ついているわけではないので、心に負担が掛からないような言い回しだからです。
住んでいる地域によっては、早く打てる地域とまだ打てない地域と分かれます。
一般の方がまだ打てない地域に住んでいる方は、「まだ打ってません」が十分使えます。
もし誰でも打てるようになった場合はどうすればいいのでしょうか。
それは後ほど解説します。
相談窓口に問い合わせてみる
厚生労働省のホームページによると、「接種は強制ではない」「あくまで本人の意思」と記載されています。
本来ならば、打つか打たないかは本人の自由です。
それでも現状、打たない派の方は打つべき派の同調圧力に困っています。
万が一、打たないままで、職場や周りから嫌がらせを受けた場合は、相談窓口に問い合わせましょう。
厚生労働省のホームページに案内が載っています。
厚生労働省新型コロナワクチンについて
https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0053.html
万が一打たない理由を問われた時の対処法
もし日本中誰でも打てるようになり、まだ打っていないのが知られて、「どうしてまだ打ってないの?」言われた場合は、解答に困ります。
「副反応が怖いから」は通用しません。なぜなら、ワクチン打つべき派は副反応を軽く見ており、それでも打つべきと考えているからです。
そうなると、打つべき派が反論できないような理由を答えなくてはなりません。
そこで、実際の出来事を交えて理由を考えました。
ワクチンを打った実親が体調悪くなったから
筆者の両親はワクチンを2回受けました。父親は何もなかったのですが、母親は2回目のワクチンを受けたときに、1日中寝込んでしまいました。
それを聞いて、遺伝的に同性の私もそうなる可能性が高いと感じました。
ひとり暮らしだとワクチンを打って体調が悪くなったら、世話をしてくれる人がいないので大変辛いことです。
また、仕事にも行けなくなると、給料も下がってしまいます。
これらをまとめて私が考えた理由は、「母親がワクチン打って体調悪くなり、私もそうなるかもしれないので打たないんです。ひとり暮らしで体調悪くなったら、何もできないので」です。
これを伝えて、それでも打った方がいいと言われたら、パワハラならぬワクハラです。
アレルギー体質なので
筆者自体、皮膚のアレルギーがたまに出ることがあります。
突然じんましんが出る、赤い斑点がだんだん広がる、かゆみが出てくる、何に反応してそうなるかは原因もよく分かっていません。
小さい頃から、皮膚がかぶれることが度々ありました。
これを使って理由を考えた理由は「私、実は昔からアレルギー起こしやすくて、うかつにワクチンも打てないんですよ」です。
本人の症状だと、理由に重みがつきます。
まとめ
ワクチンが打てるようになったことで、「ワクチン打つべき派」「ワクチン打ちたくない派」の論争が問題になっています。
お互いの考えを尊重できるのが一番ですが、そう上手くはいきません。
メディアでも打つべき、職場でも打つべきと周りからの同調圧力に悩まされている「打ちたくない派」の人にとっては、気分がモヤモヤします。
この同調圧力をうまく交わしながら生きていくのも、世知づらい世の中だなと感じます。
「今は世界が模索している最中なんだ」と思い、数年後にはまた落ち着いた生活になっていることを願いましょう。